ディール・カーネギーの言葉にもある、この「人を動かす」ということ。
これは一見、難しそうに見えます。
確かに、ただ単に人を動かそうと思ったら、かなり難しいと思います。
人は動かそうと思って動くものではないからです。
人を動かすには、まず自分が動かなければなりません。
他人が動きやすいように、色々とお膳立てを整えたり、動きたくなるような下地をつくる。
そして、ときには「こうすればいいんだ」という見本を見せる。
「あなたにもできるということを証明して見せるから、やってみて」という姿勢が大事です。
そして、最後に、そうやってあれこれ動いている姿を見て、
周りの人たちが「協力しようかな」
と思ったら、それでやっと、
自分が動くということの端っこに立てるというものなのです。
こういう細かい気配りや心配りをせず、自らが率先して動くということもせず、
ただ他人が自分に
協力してくれるのを待っていたのでは、
次の次の世紀になっても、何も変わることはないでしょう。
野球の監督でも、政治家でも、会社の上司でも、椅子に座ってふんぞり返っている人に、
本当の意味で人を動かすということは不可能です。
『人は、自分のために動いてくれる人のためにしか動かないからです。
仮に動いてくれたとしても、
それはその人のために動いているのではなく、自分のため、
つまり、一応動いたという素振りを
見せないと、後々大変だからです。』
そんな物理的な動きでは、そこから何も生まれるはずがありません。
『まず自分がだれよりも動く。そうできる人が、人を動かし、そして時代をも動かすことができるのです。』