2013年12月24日火曜日

率先垂範

「して見せる」というのは、率先垂範とか、後姿で部下を導く、というようなことを意味します。

いくら朝礼で「言って聴かせ」ても、自分はウィークデーゴルフに出かけるような上司は誰も信頼せず心服しないでしょう。「して見せる」というのは、部下との間の信頼感を高め、この人のためなら”たとえ火の中水の中でも・・・”という気持ちにさせる行為です。

ある会社に「トイレット部長」とあだ名されていた方がおりました。


その部長は、人の嫌うことは自らやるべきだ、との一大決心のもとに毎朝早くからトイレの掃除を続けたのですが、その結果は、あまり有難くないニックネームを奉られるだけに終わったのでした

なぜか?

確かにこの部長は率先垂範したのですが、トイレの掃除を毎朝やるなどという行為は、いやしくも部長職ともあろう者が範を示すべきものではなく、こんなことは部下の自主的行動に任せ、不行き届きの点があれば注意して直させればすむことなのです。

それに気がつかなかった彼の行為は、イヤ味にこそ取られても、決して部下に感動を覚えさせるものではなかったのです。

ところが、次のような率先垂範ならどうでしょう。


今や日本一のディスカウントショップに成長したロヂャースの太田社長は、年末年始の売り出しや早朝7時からの朝市には必ず社員と同じに出勤し、率先して自らマイクを握り来店客への呼び掛けやタイムサービスの案内をしておられます。

また、夜を徹するような長時間に亘る会議にはお客さまを接待した後からでも平然として出席されます。

れらの行為は社員と苦労を共にするという理念から出るものなのですが、いずれも仕事そのものに対する率先垂範であり、これなら社員は社長の姿に輝きを見、感動を覚えるのではないでしょうか。

のような感動があってこそ部下は信頼しどこまでもついていく気になるのです。

部下の眼を意識しよう

本田宗一郎氏が、まだ浜松で細々と二輪車をつくっていた頃、初めて外国のバイヤーから引き合いがあり、一夜、料亭に招いた時のことです。

そのバイヤーがあろうことか、入歯をトイレの中に落としてしまいました。

当時のこととて料亭のトイレも汲み取り式ですから、さあ大変です。

それを知った本田さんは、すぐさまパンツ一つになって便槽に身を沈め入歯を探し始めたのです。

その時周囲には、後に副社長となり本田さんとの名コンビぶりを謳われた藤沢武夫氏をはじめ何人かの幹部社員がいたのですが、社長のその姿を見た藤沢さんは、全身が震えるような感動を覚え、どんなことがあっても一生涯この人の為に身を捧げようと決心したと述懐しておられます。

本田さんが全く誠意だけでその挙に出られたのか、あるいはこの時こそお客さまに対してあるべき姿を部下に示そうとしたのかは知る由もありませんが、おそらく真実は五分五分のところにあったのではないでしょうか。


ともかく、藤沢さんをはじめとする部下に与えた感動の大きさから考えて、田舎の町工場を世界のホンダにまで昇華させた原動力の一つに、この時の本田さんの勇気ある「自範行為」を挙げることが出来るように思えてなりません。

ロヂャースの太田社長にせよ、本田さんにせよ、共通するところは、部下の眼を非常に厳しく意識し、多大の自己犠牲を払いながらも、敢然として自分が部下に望むところを”してみせて”います。


あたかも観客に凝視されている名優のように、ものの見事に演じきっておられるのです。

納得ずくでやらせる

目標を与えずセールスのコツをていねいに教えたグループが、最高の実績を挙げ得た。。
その指導のあり方について考えてみたいと思います。

ひと昔前までのセールス指導のポイントは、もっぱら精神主義であり、”ファイトなき者は去れ!”というやり方が巾をきかしていました。


確かに営業マンには「根性」とか「ねばり」とかいう言葉で表現されるように、歯を食いしばって頑張ることも必要ではあるでしょうが、最近の傾向としては、精神面の充実はさて置き、それよりももっと大事なのは”こうすれば、こうなる”というプロセスをよく納得させ、着実に実行させることである、と考えられるようになっています。

数年前に社長の公私混同で話題となった「K・D・D」をもじって”K・D・DからD・K・Kへ”と唱えられたことがありますが、これは「勘と経験と度胸」から「データにより科学的な管理(プロセス管理)」へという言葉の頭文字を取ったものであり、セールスのあり方の転換を示しています。

ある方が自動車ディーラーで、試行錯誤の結果辿り着いた管理手法は、例えば次のようなものでした。

営業マンにはいわゆる台数ノルマは課さず、その代わりに査定目標を月20台と定めました。
その根拠は、過去のデータを積み重ねた結果、査定件数に対する見込みの発生率は65%程度であること、そして見込みに対する成約率は30%であることが判明したからです。
つまり、月20台の査定をすれば
20×0.65×0.3≒4台
の実績を挙げ得るという厳然たる事実を、数字でもって示すことが出来たのです。


数字で示されると誰しも納得し、自分の行動をその数字に合わせようと努力します。

その結果、正しいプロセスを踏めば必ず正しい結果が得られるものだ、とする風土が定着し、また、プロセスの進捗度を見ておれば、結果を先行して把握できるという、いわゆる先行管理も可能になったのです。

大脳生理学の活用

いたずらに精神面を強調するだけでなく、合目的的なデータを活用して”こうすればこうなる”と納得づくで”やらせる”ことは、営業の世界でも充分通用し、「プロセス管理」は製造ラインだけのものではないことがご理解いただけたのではないでしょうか。

しかし、だからといって精神主義の側面を全く無視してよいかというと、決してそうではありません。人や仕事の性格によっては、驚くほどの効果を発揮することがあり、殊に短期決戦の場合には素晴らしい実効を挙げ得ることが実証されています。

企業によっては、毎朝、目一杯大きな声で社歌や社是などを唱和させている所があります。傍から見ていると、好い歳をして何て馬鹿馬鹿しいことを、と思うのですが、やっている人達は、馴れないうちは抵抗を感じたり戸惑ったりしても、やがてこれをやらないとどうもスッキリしないという感じになり、真剣に取り組むようになります


”大声を出す人は長生きする”といわれるように、歌手や僧侶などは確かに寿命が長いようです。これは、大声を出したり腹式呼吸をすると、脳波が座禅を組むのと同じような状態になって精神が安定し、それが肉体に好い影響を与えるからにほかなりません。

そして、このような状態のとき、”自分の目標は必ず実行できる”と繰り返し念じていると、知らず知らずそのようになって行くという不思議な力を人は誰でも持っています

これは大脳の旧皮質の働きなのですが、この大脳の生理を利用しようとする一つの例が上記の「大声セレモニー」であるわけです。

トップの強烈な指導力によってグングン伸びている企業というのは、何らかの方法で大脳生理学を活用し集団の力を発揮させているケースが多いものです。


その中でも松下電器グループは、一見馬鹿馬鹿しいようなセレモニーを毎朝続けながら、決して「精神主義」偏重に陥らないように併せて「合理主義」も標榜しています。

そのバランスの良さが企業を伸ばし、経営のお手本にされている所以だと思います。


『初めから話し上手の人はいない』

大勢の人の前に立つと、あがってしまって、スピーチが上手にできない。

そんな悩みを持った人でも、コツを覚えれば、話し上手に変身できるはず。

悩む前に努力が必要だ。

人前で「あがる」ということは、その人に特有な、持って生まれた性質 というわけではない。

ちょっとしたきっかけで自信を得たり、訓練すること で、人前であがらないようにすることはできる。

一度、あがった経験のある人は、また今度もあがるのではないかと心配に なり、
そのためにかえってあがってしまうことになりがちだ。

普段からマイ ナスイメージを抱かないようにすること。

失敗したときの自分を想像するの ではなく、「自分は必ず何かができる」という
プラスイメージを持つように することが大事。

下手な芸人の道具集め

これは、未熟な芸人ほど「こんな道具ではうまくできない」とか
「もっといい道具 がそろっていないと力が発揮できない」と言って、
自分の芸が下手であることを棚に 上げ、うまくできない理由を
道具のせいにすることをからかったものです。

たしかに、道具が悪かったり、そろっていなくては満足な出来ばえは
期待しにくいかも知れませんが、そのような状況のもとでも、
何とか工夫をして良い結果を出すように努力する ことが、
下手から上手になるための大切な心がまえではないでしょうか。


しかし、現実には「下手な芸人」になってしまっていることがよくあるものです。

「もっと不良品をへらせないか」とか「もっと作業時間を短縮できないか」などと
指 摘されると、「機械の性能がイマイチなので…」「前工程が遅いので…」というよ うに、
悪い理由を自分以外の物事に求めてしまうことが多いのではないでしょうか。

もちろん、本当に機械の調子が悪かったり、周囲の事情によることもあるでしょうが、
 それならそれで、指摘を受ける前に改善のために手をうつべきですし、
現時点ではどうにもならないのであれば、その条件のもとで、
どうすれば少しでも改善できるかを 工夫してみる必要があるでしょう。

自分ひとりの力では無理であれば、同僚や上司に も相談して
みんなの知恵を集めてみれば、意外に簡単に改善方法が見出せるかも知れません。

2013年12月19日木曜日

松下幸之助の「素直」とは?

1.素直な心とは、誰に対しても、何事に対しても謙虚に耳を傾ける心のことである。
1.素直な心とは、すべてに対して学ぶ心である。何らかの教えを得ようとする謙虚さ
  を持った心である。
1.素直な心とは、価値あるものを正しく認めることのできる心である。
1.素直な心になったならば、いらざる対立や争いが起こりにくくなる。
1.素直な心がなければ創意工夫の心がなくなり、進歩向上も望めなくなる。
1.素直な心がなければ、率直にものを言うことがなくなり、互いに意思疎通が不十分
  になる。
1.素直な心がなければ、ムダや非能率が多くなる。
1.素直な心を養うためには、まず、素直な心になりたいという願いを持ち続けることが
  大切である。
1.素直な心を養うためには、毎日自分の行ないを反省することが大切である。
1.素直な心を養うためには、先人の尊い教えに学ぶことが必要である。


2013年12月9日月曜日

クイック・レスポンス

素早い応答は、効率的であるだけでなく安心感を与える役割もあります。

 「おはようございます。」と挨拶されたら、即座に「おはようございます」と 返すと元気をもらったような気になります。

さて、「さあ、やろうか」と呼び掛けられたときに、「はい。がんばります」と 元気良く答えて、すぐに立ち上がる。

電話が鳴ると、すぐに受話器に手を伸ばして、明るい弾むような声で 「はい。お待たせいたしました」と応じるのがクイック・レスポンスです。

 素早く答えて、すぐに動くことです。 「望ましいクイック・レスポンスの3カ条」を挙げてみます。

■第1条 的確さ
レスポンスが早ければいいというものではありません。
瞬時に相手の意思を聞き取ったり、何を求めているかを間違いなく 把握するなど、クイックな上に、的確なレスポンスが欠かせません。

■第2条 気合いの入った応答
クイック・レスポンスには、仕事を効率的に進めるばかりでなく、相手に安心感を与えるという大きな役割があります。気合いの入ったクイック・レスポンス をすれば、相手に「そうか。
すぐにやってくれるのだ」「気持ちよく引き受けてくれたな」「一生懸命に取り組んでくれるんだ」などの安心感、信頼感を与えら れます。

■第3条 確実な返事
もう一つ安心感を与えるためには、指示や依頼を受けるときにメモを片手に持っていて、その場で確認をして、さらに「はい。
確かに承りました。急いで準備 に入りますから、間に合います」などのひと言を加えるとどうでしょうか。
相手は、確実にひと仕事終えたような気持ちになります。

クイック・レスポンスは、すぐやることに加えて、的確で、気合いの入った、 確実な応答が条件です。
まずは、素直な「はい」の返事と「やります」のポジティブ態度を身に付けることです。

2013年12月5日木曜日

福沢諭吉の心訓

福沢諭吉の言葉とされているが、後年の偽作とも・・・

まあ、いずれにしても含蓄のある言葉なので、ご紹介します!!

一:世の中で一番 楽しく立派な事は 一生涯を貫く仕事を持つと云う事です
一:世の中で一番 みじめな事は 人間として教養のない事です
一:世の中で一番 さびしい事は する仕事のない事です
一:世の中で一番 みにくい事は 他人の生活をうらやむ事です
一:世の中で一番 尊い事は 人の為に奉仕し決して恩にきせない事です
一:世の中で一番 美しい事は すべてのものに愛情を持つ事です
一:世の中で一番 悲しい事は うそをつく事です

人に必要とされる人間になること。

どういう仕事をすることも大事だがどういう気持ちで仕事をするのか?

「今の自分の仕事は天職だ!!」思えたら、それだけで、
幸せ感一杯ですよね。

そのためには、たくさん学んでたくさん経験して、実力を磨くこと!!!
さあ、今日を楽しみましょう!!

2013年12月4日水曜日

『「つむじまがり」逆転発想法』

松下幸之助翁は、相手がどんな人でも、言うことに最後まで耳を傾ける人だったそうです。

凡人なら、若手社員の意見は早々に、「きみの考えは甘い」などとさえぎってしまうもの。

「人間は誰でも、それぞれに素晴らしいものを持つ偉大な存在である」という哲学があった。

だから、相手の身分や年齢にかかわらず、一人ひとりに心から尊敬の念を持って応対した。

また、「一定の知識を持っていると、我々はそこで納得してしまおうとする。

しかしそのことが、我々を枠にはめている。

日に新たであるためには、 いつも『なぜ』と疑問を持ち続けることが枠を超える一助になる。

知っていることの強さの反面に、知っているための弱さはないだろうか。

常識の枠をはずして考え直してみなさい」と言っていた。

松下翁は二通りの道があるとき、しばしば反対の多い道を選んだ。

幅広く意見を聞いて、危ない所が全部わかっていれば、全く危険はないという理由からである。

私たちは、ともすれば聞くよりも話したがります。

そのほうが、自分が目立って気持ちがいいからです。

しかし、話すことからは何も得ることはできません。

こんな「なぜ」から出た「逆転の発想」の数々が松下電器を大きくしていったのでしょう。

2013年12月2日月曜日

『先哲の言葉』

1)努力のないところには幸福はない、決断のないところには解決はない。

2)賢い人は知っていることしかいわぬ、愚かな人は知らないことまで口を出す。

3)他人の短所を責めてはならぬ、自分の欠点を許してはならぬ。

4)知ることがむつかしいのではない、行なうことがむつかしいのである。

5)善の芽は育てねばならぬ、悪の芽は絶やさねばならぬ。

6)苦しみが残していったものを味わえ、苦難もすぎてしまえば甘い。

7)涙とともにパンを食べた人間でなくては人生はわからない。


2013年12月1日日曜日

『仕事十訓』

1)事の大小・軽重・緩急・前後を考え、手順よく働け

2)何事も丁寧に早く、手際よく分量多く行なえ

3)選り嫌いするな、どんな仕事にも不平を抱くな

4)進んで仕事を見出せ、一刻も手と頭を遊ばせるな

5)頼まれた事から行え、人に歯がゆい思いをさせるな

6)山積みせる仕事は落ちついて行え、些の粗相もするな
(些の粗相「サノソソウ」=わずかな不注意ミスのこと)

7)すべてに全力を注げ、序の仕事は出来るだけ行なえ
(序「ジョ」=始まり、とりかかりのこと)

8)賞讃報酬を当てにすな、萬事を本分と心得て働け

9)何事にも熟達せよ、精神修養に重きを置け

10)仕事そのものを楽しめ、趣味化するまで工夫をこらせ


『人を動かす人は、誰よりも自分が動いている』

ディール・カーネギーの言葉にもある、この「人を動かす」ということ。
これは一見、難しそうに見えます。

確かに、ただ単に人を動かそうと思ったら、かなり難しいと思います。

人は動かそうと思って動くものではないからです。

人を動かすには、まず自分が動かなければなりません。

他人が動きやすいように、色々とお膳立てを整えたり、動きたくなるような下地をつくる。

そして、ときには「こうすればいいんだ」という見本を見せる。

「あなたにもできるということを証明して見せるから、やってみて」という姿勢が大事です。

そして、最後に、そうやってあれこれ動いている姿を見て、
周りの人たちが「協力しようかな」 と思ったら、それでやっと、
自分が動くということの端っこに立てるというものなのです。

こういう細かい気配りや心配りをせず、自らが率先して動くということもせず、
ただ他人が自分に 協力してくれるのを待っていたのでは、
次の次の世紀になっても、何も変わることはないでしょう。

野球の監督でも、政治家でも、会社の上司でも、椅子に座ってふんぞり返っている人に、
 本当の意味で人を動かすということは不可能です。

『人は、自分のために動いてくれる人のためにしか動かないからです。

仮に動いてくれたとしても、 それはその人のために動いているのではなく、自分のため、
つまり、一応動いたという素振りを 見せないと、後々大変だからです。』

そんな物理的な動きでは、そこから何も生まれるはずがありません。

『まず自分がだれよりも動く。そうできる人が、人を動かし、そして時代をも動かすことができるのです。』